才能 と書いて「はかいりょく」と読みます。この場合。
この場合、とは、りっちゃんの場合です。
りっちゃんとのデートの帰りの車中。
どうも、りっちゃんの童謡がおぼつかないことに気付いたじょりぃ。
そもそも、りっちゃんは類い希なる音痴です。
私の今までの知り合いの中で、ダントツで音痴です。本人には言ってませんけど。
言ってませんが、本人も自分が音痴なのは自覚しております。
というか、「あたしって音痴らしい」という自覚はあるのですが、
実際どのように、どの程度音痴なのかというのはおそらく把握できていません。
他人の歌の上手い下手はわかるようですが、自分の歌がどんな具合なのかは全然わかっていないんじゃないかと思います。
ただ、「あたし、どうも音痴なのかな?」というのは自覚していて、なのでカラオケなんて絶対歌いませんし、人前で鼻歌も歌いません。
なんですが、ワタシにはだいぶん気持ちを許してくれているらしく、
「あたしの今の気持ちはこんなです」ということを歌の歌詞に託したいときなどは、該当する部分を歌ってくれます。
歌ってくれるんですが、
歌詞がなければ何の歌かわからないくらいのソレです。
また、リズム感も破壊力抜群です。
どれくらいかといいますと、手拍子というものがメチャクチャなのです。
それでも音程よりはいくぶんマシかもしれません。
まあとにかく、りっちゃんの歌において、判別可能なのは歌詞だけ、といったほどの音痴っぷりなわけであります。
こう書くとバカにしているように感じるかもしれませんが、これがあなた、
好きな人の音痴っぷりというのはかくも愛しいものかと思うじょりぃなわけですよ!
あばたもえくぼという言葉がありますが、「音痴」とか「運痴」とかって、まさにこのカテゴリのためにあるような才能だとワタシは思うですよ。
なんだかものすごくかわいくて、いとおしくて、すりすりしたくなるのでありますよ!
優越感とはまた違うんですよねえ。
ワタシは小さい子の感性とか行動とかが大好きなんですが、それに通じるかわいらしさがあるのです。
前置きが長くなりましたが、かように、りっちゃんの歌う歌を判別するにおいて、歌詞というのは大事なものなわけなんですが、
童謡については、記憶が遙か昔のせいなのか、その歌詞すらおぼつかなくなっていて、
りっちゃんの歌う童謡が何か奇っ怪なものになっていることに気付いた、デート帰りの車中だったわけです。
どうもおかしい、変だ、と気付いたじょりぃは、ちゃんと歌える人でも間違えがちな『小さい秋』を歌ってみて、と頼んでみました。
これ、出だしは「誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた」で始まるのですが、タイトルが『小さい秋』ゆえ、ついつい
「小さい秋小さい秋小さい秋見つけた」と歌い始め、その後に来るはずの本来の「小さい秋小さい秋小さい秋見つけた」にかかろうというときになって初めて「あれ?」となって、あはははは間違えたー!という流れが定番な歌なんですが。
それをりっちゃんにも試みてみたわけです。
「えー? それくらい歌えるよー(笑)」とりっちゃん。
「うん。歌ってみて(´∀`)」
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